シルクロードとは簡単にいうと、東は唐(現在の中国)の首都長安から西へ広漠たるユーラシア大陸を貫きユーロピアに達する交易の街道である。しかし、ロードとは名ばかり、そのほとんどは灼熱の砂漠で、旅する人々は絶えず飢渇の不安にさらされ、生命の不安におびえながら、ただ月と太陽だけに方位を求め、鈍重なラクダの背に長い年月をついやし往復したという。
2世紀の初期、ローマ人は遥かな東洋から運ばれてくる絹と呼ばれる神秘なまでに美しい織物を知った。美しい女性の肌を悩ましく透かす魅惑はたちまちローマ人の心を捉え、絹は織物として空前の高値を呼んだ。商人は争い隊商を唐に送り、王侯は使節を派遣してまで絹を求めた。
ローマ→地中海→フェニキア→(シリア)→メソポタミア(イラク)→ソグディアナ(中央アジア)→世界の屋根とヒマラヤの一端を越え→流沙(タクラマカン砂漠)敦煌を経て長安まで、行程は2万kmを越え、実に2年半を要する大旅行であったが、西に東にキャラバンは絶えることがなかったという。この状態は16世紀、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸を迂回し、インドに達する航路を発見するに及び、ようやく衰退に傾いていったが、それは消えることなく、現代もラクダの隊列がキャメルベルの音を茫漠に響かせている…。