第2楽章 死の砂漠とヒマラヤの出現

 長安を半年前に出発したキャラバンは、やっと沙州(敦煌)で中国領土を離れ、楼蘭(ロウラン)―さまよう湖(ロプノール)―そして最初の難関タクラマカン砂漠に入る。来る日も砂の海の航海が始まる。乗る船は砂漠の船と呼ばれたラクダ。辿り着く島は水のある場所オアシスである。定まったルートは無い。砂漠の風は絶えず砂を移動させ、ラクダや人の足跡を消してしまう。彷徨が重なると、飢と渇きが人の命を奪う。倒れた人の遺骨がちりばり、鬼気が漂う。14世紀ここを通過したマルコ・ポーロの手記にもこの砂漠では度々亡霊の囁きや、すすり泣く声を聞いたと述べている。曲はそうした寂寥を陰うつにつづる。敦煌からタクラマカン砂漠最奥のカシュガルまでは我国の北海道から九州までと同等の距離があり、この踏破にほぼ半年が浪費される。そしてやっと死境を乗りきったキャラバンの前途には、新しい難関が待ちかまえている。カシュガルの街が近づくにつれ、その後方には一連の高岳がせり上がる。これこそ世界の屋根といわれるヒマラヤである。カラコルムから伸びる山嶺はヒンズークシ山系とともにパミール高原を形作り、さらに北に伸びて天山山脈となり、ルートは完全にふさがれる。パミール高原を越える以外に道はない。高原といっても6000米突に近く、荒々しい岩山は千古消えることのない氷雪に埋もれ、氷河が舌端をさしのべている。天空高峰は、近づくにつれいよいよ高くのし上がり、キャラバンを威嚇する。